社員の家族からみた茂呂製作所 宮下さん編

宮下さんのお父さんより

今回は、茂呂製作所の若手のご家族のインタビュー記事をお届けします。

技術支援部(2023年7月から新部門)の宮下さんのお父様(義啓さん)は、施設管理業務を請け負う外部業者として、ご自身も茂呂製作所で仕事をされています。

義啓さんと茂呂哲也社長は、偶然にも10代後半を共にした過去がありました。

そんな義啓さんに、息子への想いや茂呂製作所の魅力について伺いました。

しっかりしてきたけどまだまだ!自ら選択し、経験し、吸収せよ

-宮下さんは2023年4月で入社から1年が経ちました。今年ご結婚もされて、ここ最近、成長著しい印象です。お父様から見ていかがですか?

しっかりはしてきましたけどね、まだまだ頼りないですよ(笑)。

とはいえ、周りの先輩たちに聞きながら1つひとつ仕事を覚えていく姿勢はいいですね。あとは自分でどれだけのことを覚え、身に付けていけるかが大事です。

今年に入って私も毎日のように茂呂製作所に来るようになり、ヒロヤの仕事の様子も見ていますけど、子どもの成長って意外と見えにくいもので。

でも小さいころに比べたら、そりゃ成長してるんでしょうね。小さいころのヒロヤは泣き虫で、どうしようもなかった。それが今じゃ、結婚して家庭を築くって言うんだから。

結婚も仕事も、自分で決めることが大事。成功も失敗も自分の経験になる!

-大きな環境の変化ですよね。息子の職場としての茂呂製作所に対して、お父様が期待されていることは何かありますか?

会社への期待というのは、どこか筋違いな感じがします。

これは私の信念のようなものなのですが、成長して自我を持ち、1人の個人として大人になった以上は、自分が好きなように生きればいい。

今後、茂呂製作所で成功するかもしれないし、自分で事業を繰り広げるようになるかもしれない。
ヒロヤが選んだ会社で成功するのも失敗するのも、ヒロヤ自身が決めることであって、私がとやかく言う必要はありません。

会社という環境で知識なり技術なりをどれだけ吸収できるかも、自分次第です。

親として言えることは、「経験を積め」ということくらい。

あとは、人とどれだけうまく付き合っていけるか。それはもう本人が覚えていくことだから、会社や本人に親が何かを期待するのは違うと思っています。

-義啓さんご自身も、現在の事業を営むようになるまで色々と経験されたのでは?

私は14歳のときに働き始めて、ガソリンスタンドから警備員、飲み屋からゴミ屋、土木屋まで、そりゃもう色々経験しました。水道屋になって独立してからは、25年ほど経ちました。

子どもたちに「自分で決めろ」と言うのも、私自身がそうしてきたから。10代のころから、仲間を作るのも仕事をするのも、全て自分で決めて、考えて、やってきました。

世の中には敷かれたレールを歩む人もいて、それが幸せなのかどうか、私には分かりません。

でも自分の子どもたちには、自由に自分の生きる道を歩んでほしい。
何事も経験だし、縛ってもしょうがないと思うんですよ。

茂呂製作所の自由なチャレンジを奨励する企業風土が魅力

ヒロヤにとって偶然がものすごく重なった。学校が世話してくれた就職先のひとつが茂呂製作所で、そこにバスケのコーチがいて、父親がガキのころに遊んでた先輩もいたんだから!

-そんな義啓さんから見て、茂呂製作所はどんな会社ですか?

魅力ある会社だと思いますよ。

私に見えているのは一部分かもしれませんが、社長も社員もフラットに一緒になって取り組める会社って、今の日本には珍しいのではないでしょうか。

茂呂社長が自由な人だから、社員からも自由な発想が出てきやすいのかもしれません。ふつうは社長に提案するまで課長、部長とステップを踏まないといけないけれど、茂呂製作所はそんな段階が必要ない。

そんな風にチャレンジを受け入れ、奨励してくれる環境があるから、とりわけ若い社員が育ちやすのだと思います。

外部の人間としても「こういうことができますよ」と提案しやすいですし、逆に「こういうこともできる?」とフットワーク軽く聞いてもらえることもあります。

とてもありがたく、本当にいい会社だと思います。

宮下さんと茂呂製作所との不思議な縁

-同感です。茂呂社長と義啓さんは、10代のころの先輩・後輩だったそうですね!

そうそう、10代後半のころ。私の中学の仲間が茂呂製作所に就職して、そこの息子・哲也君(現・茂呂社長)とも遊ぶようになりました。

当時はよく遊んでいましたが、その後、哲也君とは20年以上会わずじまい。ところが今から2~3年前、私が父の仕事を手伝っていたときのことです。哲也君のお父さんにあたる茂呂会長に農機具を販売したことを機に、茂呂製作所に出入りするようになりました。

会長に、「茂呂さんってもしかして、哲也君のお父さんですか?」と尋ねたら、「なんだ、哲也のこと知ってるのか!それなら話が早い。(農機具を)持ってきてくれ!」と話が進み、納品することになったのです。

納品のため茂呂製作所を訪れたら、今度はヒロヤの高校時代のバスケットボールのコーチだった社員さんにばったり!

そうこうしている間に、ヒロヤは高校を卒業し、就職活動を開始。
就職先の候補には、茂呂製作所も挙がっていました。

でもヒロヤには、私と哲也君のつながりも、茂呂製作所にコーチが居ることも告げないまま。
「お前が行きたいところに行ってみればいい」とだけ伝えていました。

結局ヒロヤは茂呂製作所に入社することを選び、私は息子の会社で社長をしている哲也君に20数年ぶりに再会したというわけです。

その流れで、水道設備から駐車場整備、植栽剪定、ゴミのコンテナ設置まで、施設管理全般を請け負うようになりました。

会社で私を見つけたときの哲也君は、「久しぶりじゃん!何でうちに来てるの?」と昔から変わらずの雰囲気で。私が「何でもなにも、息子がいるから。宮下っているでしょ?」と言うと、「あ!ヒロヤ君!宮ちゃんの息子なの!?」と驚いていました。

入社試験でヒロヤの面接をした哲也君は、「どっかで見たことある顔してるけど、知らない子だよな……」と不思議に思っていたそうです(笑)

少年時代から変わらぬ茂呂社長の器

-現在の宮下さんは、お父様の若いころによく似ていらっしゃるんですね。ちなみに、10代後半の茂呂社長はどんな少年でしたか?

あたたかくて面倒見のいい人でした。相手に居心地の良さを感じさせる人柄は、今も変わっていませんね。

当時は「先輩には敬語が絶対」という時代でしたが、哲也君は私より3つ上の先輩なのに「タメ口でOK」という感じ。上下関係なくウェルカムで、下の者にもあたたかく接してくれるので、後輩からも慕われていました。

哲也君は、経営者ならではの頑固なところもあるけれど、誰かに何かあったら真っ先に心配してくれるような人です。ときには本人が困る前に先回りして、「何かあったら言えよ」と言ってくれます。

そういう社長のところだから、どんな因果か分からないけど、息子が偶然「この会社に入りたい」って言ったときも、「いいんじゃねえか」って預けられたのかもしれませんね。

ヒロヤの歳のころはオレも格好良かったんだよ!

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